<パズドラ>パズドラモンスターで学ぶ古事記8 神武天皇の東征と欠史八代

ウミサチヤマサチ

ヤマサチビコと海神の娘であるトヨタマヒメの子、さらにその子と海神の娘タマヨリビメの子カムヤマトイワレビコ。このカムヤマトイワレビコこそが初代天皇の神武天皇です。

これ以前の物語は、以下からご覧になって下さい。

天下平定のための神武東征

ヤマサチビコの孫にあたる4人の皇子のうち長兄のイツセと末弟のイハレビコは天下を平定することを考え、日向(現在の宮崎県)の高千穂から東へ向かうことにします。
舟で筑紫(現在の福岡県)から宇佐(現在の大分県)、岡田宮(福岡県九州市)に至り1年間滞在します。その後、安芸の国(現在の広島県)で7年、吉備国(岡山・兵庫)で8年過ごします。

そこから現在の大阪湾に停泊すると、当地の有力豪族ナガスネヒコが待ち構えていました。ナガスネヒコ一族の抵抗は激しく、イハレビコ軍の損害は大きく戦闘で矢にあたった兄のイツセは負傷してしまいます。

イツセは、「我々は日の国の御子だから日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。日を背にして(西を向いて)攻めよう。」と言い東側に回りこむ事にしたのですが、その途中にイツセは死んでしまいます。

イワレビコ軍が熊野(現在の和歌山県・三重県の紀伊半島南部)へ着くと妖気にあたり皆倒れてしまいます。
そこにタカクラジが太刀をもって現れイワレビコに太刀を献上すると一行は意識を取り戻します。

その後、タカミムスビ(高天原の原初の神)の命によって遣わされた

ヤタガラス

八咫烏(ヤタガラス)の先導で熊野から大和の宇陀(現在の奈良県)へ入りますが、その地でも様々な抵抗にあいます。

しかし、イハレビコは次々と敵を退け畝火の橿原宮(現在の奈良県橿原市)から天下を治めました。

初代天皇神武が誕生したのです。

欠史八代とは?

神武天皇は后イスケヨリヒメとの間に3人の御子を設けていました。
神武天皇の死後、3人の異母兄タギシミミは后であるイスケヨリヒメを娶ります。この事で皇位の継承権を主張し、3人の御子が邪魔なために殺害を企てます。
しかし、この謀略を知った御子たちの母イスケヨリヒメは歌に託して御子達に知らせます。

そこで末弟のカムヤイミミが兄にタギシミミを殺すように促しますが、兄は恐怖にふるえて殺すことが出来ず、結局末弟のカムヤイミミがタギシミミを殺します。

敵を討ち逃した二人の兄は、皇位をカムヤイミミに譲り、第二代天皇綏靖天皇(すいぜい)が誕生します。

その後の古事記の記述は、二代綏靖天皇から九代開化天皇までの系譜が記されていますが、記述が少なくその存在が疑問視されており、「欠史八代」と呼ばれています。

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