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<NHKスペシャル>遷宮~アマテラスの謎~ 持統天皇とアマテラス

伊勢神宮

NHKスペシャルで、2014年1月1日に放送された「遷宮 伊勢神宮~アマテラスの謎~」が再放送されました。

番組内では、持統天皇が自らをアマテラスに重ねわせて天孫降臨の儀式を遷宮という儀式に託したとの説が紹介されています。

天照大御神と、持統天皇その関係性について考察してみました。

持統天皇とは何者か?

そもそも伊勢神宮における遷宮とは

伊勢神宮で式年遷宮が始まったのは1300年前。“日本”、“天皇”という言葉が使われ始める国家の激動期、藤原京を造営した女帝・持統天皇でした。遷宮といえば社や神宝、装束をすべて新しく作り直す儀式として知られ、伊勢神宮では20年に一度のペースで繰り返されてきました。

引用元

当時の女帝・持統天皇とは一体どういう人物だったかというと・・・

  • 天智天皇(大化の改新で有名な中大兄皇子)の娘
  • 天武天皇(大海人皇子=天智天皇の弟とされる人物)の妻

天智天皇の死後、その息子である大友皇子との間に皇位継承をめぐって壬申の乱(672年)が起きます。
それに勝利した大海人皇子(後の天武天皇)の皇后として政治的な助言も行ったとされています。

天武天皇が崩御(686年)すると自身の子で皇太子である草壁皇子の異母兄弟(母は持統天皇の妹)大津皇子が謀反を起こします。

持統天皇の子、草壁皇子と大津皇子には明らかな能力の違いがあったようで、自分の子供である草壁皇子に皇位を継承させたいために謀反の疑いをかけて自殺に追い込んだという説もあります。

しかし、そうまでして皇位を継がせようとした草壁皇子は若くして(689年)病死してしまいます。

このため、自身の子供に皇位を継がせるという持統天皇の野望は頓挫したかに見えましたが、自らが即位することで自身の血を継ぐ孫である軽皇子(草壁皇子の子)へ継承させようとしたのです。

これが、神話である天孫降臨の儀式へとつながります。

天孫降臨とは?

天孫降臨を知る前に、まず天照大御神(あまてらすおおみかみ)について知る必要があります。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に登場する神。皇室の祖神で、日本国民の総氏神とされる。

引用元

皆さんも神社に行って、御札を頂きそれを神棚に祀る際は天照大御神の御札とその神社の神様の御札を祀るのが一般的だと思います。

では天孫降臨とは?

天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の命を受けて葦原の中つ国を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったこと。

邇邇藝命は天照大神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ)が案内をし、邇邇藝命は筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立ったという、『記紀(古事記と日本書紀)』に記された日本神話である。

引用元

ここで言う、天孫とは当然アマテラスの孫。葦原の中つ国とは日本の事です。

つまり、持統天皇は自分の孫に皇位を継がせる事を天孫降臨神話になぞらえる事で正当化しようとしたのではないでしょうか?

当時の、皇位継承は直系相続ではなかったことは確かです。
何よりも、自分の夫、天武天皇はその前の天智天皇の弟であり直系の大友皇子を倒して皇位についています。

草壁皇子が亡くなった時には、天武天皇の息子(皇子)は他にもおり、中でも高市皇子は天皇を補佐する太政大臣にまでなっています。(高市皇子は母親の出自が低かったため皇位の継承権はなかったという説もあり)

そんな中でまだ幼い自分の孫への皇位継承は強引な方法でした。
それを正当化させるための儀式が天孫降臨を模した遷宮だったというのが最近の研究だそうです。

持統天皇の生きた時代は、古事記や日本書紀が成立した時代でもあります。
それまで伝わってきた天皇家の歴史、日本の歴史を文書としてまとめた古代書は当然その時の為政者の意向が強く反映されたはずです。
自らの正当性を後世に残すために神話を活用したということもあるのではないでしょうか。

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